極真空手の創始者大山倍達総裁(1923年〜1994年)は、幼少から拳法を学び、松涛館空手の開祖である船越義珍先生に学ぶ。拓殖大学、早稲田大学に学び、1947年全日本空手道選手権大会で優勝。 身延山、清澄山に籠もっての修業、修練を積み、牛を拳の一撃で倒す牛殺し、ビール瓶切りなど の秘技を体得、遂には猛牛『雷電号』をも倒し、その後シカゴ、メキシコでも牛を倒し、 ”ゴッドハンド”と呼ばれる。 1952年に渡米して全米各地をまわりプロレスラーなどと真剣勝負を行って連戦連勝、同時に 空手を紹介する。その後も世界各国をまわって各種格闘技と戦い「カラテ」の名声を世界に広げる。  “空手こそ最強”の信念のもと、直接打撃制空手を提唱して、1954年5月、大山道場設立、 1964年国際空手道連盟極真会館に改名。  全日本空手道選手権大会、全世界空手道選手権大会を開催。極真ブームを巻き起こし、今日の 格闘技ブームのさきがけとなる。(K-1、キックボクシングなど日本の格闘技のほとんどに影響を与え、その指導者には極真経験者が多数存在する。) また、週刊少年マガジンで1971年(昭和46年)5月23号から1977年(昭和52年)12月25号まで『空手バカ一代』が連載、空手家大山倍達総裁の半生を描いた、梶原一騎原作、つのだじろう・影丸譲也画のノンフィクション作品もあり、現在に至っても多くのファンを魅了している。  その間、世界130ヵ国1200万人、国内に50を越す支部を創立して50万人の会員を擁する最大の武道組織を築き上げ“極真最強”の名をほしいままにした。 極真空手は、単独会派としては、世界最大にまで発展、国内においても全都道府県に支部があり、日本空手界を代表する空手流派です。
 空手一筋に人生を賭け、1994年4月26日、数多の人に惜しまれながら逝去。しかし、生涯を懸けて作り上げた極真の精神は、今なお世界中で多くの道場生に受け継がれている。


国際空手道連盟・総裁。 極真会館・館長。 十段。 











←TOPへ戻る